LACOSTE L1212

今年度より管理職がクールビズを推し進めるようになったので、ポロシャツで仕事をということにしました。昨年までは「別に北海道はそれほど暑くないのだから、あえてクールビズなんてしなくてもいいのでは?」とクールビズに対して否定的な考えを持っていましたが、今年はクールビズを強調するので、だったら思いっきりカジュアルにしてやろうということです。思い出しましたが、就職したての約20年前の夏に1度だけポロシャツで出勤したら、先輩から「そんな格好をするなんて10年早い!」と怒られたことがあります。だからそれから10年経った夏にポロシャツで出勤してみましたが、もうその時には指摘されるような年齢でも経験年数でもなくなっていたようです。ということで、少しは先輩らしくと夏の暑い日でもジャケットを着てなるべく涼しい顔をしながら仕事をしてきました。懐かしい。

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現在所有しているラコステです。

ピンクと紫はフレンチラコステ
グレーはファブリカ製
紺が20年前に新品で購入して以来、愛用しているフレンチラコステ
一番下の緑は日本製です。
紺以外のフレンチラコは、古着で購入しました。着た時の生地の柔らかさは紺が一番です。古着で購入したものはイマイチです。

この夏1シーズン、毎日のように着用してみて自分のサイズがわかってきました。カジュアルに着るならぴったり目のサイズ”2”〜”1”が好きなのですが、職場だと緊張する場面が多いためにものすごい汗をかくので、サイズ”3”で余裕のある着方の方が汗でポロシャツの色が変わることがないということがわかりました。フレンチラコステは着丈が長めですが、職場ではインしているので問題ありません。

近年、北海道も暑い日が長く続くようになりましたが、10月になり寒く感じる日が多くなりました。職場のクールビズ期間も終りです。今週からは久しぶりにネクタイを締めての出勤となりました。

来年までしばらく、ラコステとはお別れです。
ということで、夏物をしまう前に記念撮影をしてみました。

RESOLUTE 710

この記事は別のブログサイトで2016年10月に書いたものです。

今日は自分の一番のお気に入りのリゾルト710との出会いについて語ります。

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リーバイス501の66タイプを履いてみたいと思い検索をしていた時に偶然に出会ったのが、リゾルトのジーンズでした。最初はネット通販でと考えていたところ、札幌でリゾルトフェアをやることを知り、その時期に合わせて買うことにしました。

2014年9月、SAPPORO-BASE CLOTHING STOREへ。
服屋に行くのも久しぶりで、しかも初めて行くお店ということで緊張しながら入ってみると、客も自分ひとり。さらに緊張しながらリゾルトを手に取ります。でも、結果的には自分ひとりしか客がいなかったのは幸いでした。そのおかげで、ゆっくりと店長の藤田さんにフィッティングをしてもらいながら選ぶことができたのです。

最初は501 66タイプで股上の浅い713にするつもりでした。
しかし、自分の脚に合わせて裾上げをする713より、自分の脚に合わせて豊富なレングスサイズから選べる710の方がという説明をしていただき710を試着します。その当時履いていたリーバイスのウエストは32インチでしたが腰履きのような感じになっていたので、ウエストはぴったりの方がいいということで、最初は31インチ、そして30インチとウエストを下げて試着します。自分では30インチという、大学生の細かった頃のサイズが履けたことにとても驚きでした。

しかし、藤田さんはさらに言います。
「29インチもいけますよ」と実際に履いてみてもウエストのボタンは止まらないし無理だろうと思っていたのですが、履いているうちに馴染んでくるから大丈夫と。そして洗濯したら再び型が戻るのだとも。
そこで店内でしばらくの間履いてみます。そうしたらだんだんと馴染んできているような気になりました。鏡に映るリゾルトを履いた自分の姿は確かにシュッとしている。

ということで、藤田さんのオススメ通り29インチの710を買いました。

平日はさすがに仕事で履くことはできません。家に戻ってから履いて慣らす毎日でしたが、太ももの圧迫感はなかなか解消せず、一時は失敗だったのではないかと悩んだ時もありました。しかしデニムが柔らかくなってくると、自分の身体にフィットしてきました。

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購入から2年が経ちましたが濃いブルーがまだまだ残っています。左足のネジレと赤耳のアタリ、そして裾の色落ちの仕方など最高です!
最近は洗濯して天日干しをしていましたが、今日は久しぶりに乾燥機にかけました。
今週末、サッポロベースでやっているリゾルトフェアに行ってみようかと考えているので、ならば気合を入れてと乾燥機です(笑)。

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文系の大学は必要ない?

朝日新聞の記事「(争論)文系学部で何を教える」を読む。
文部科学省が昨年9月に,国立大学に対して人文・社会科学系や教員養成系の学部の「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を促す内容の通達を出したそうだ。
このことに対して賛成意見を述べている富山さんは,「大学教員に職業訓練をさせる」とか,「サミュエルソンの経済学ではなく簿記会計」など,私にとってはすごく過激なことを言っている。
文科省有識者会議でもこのような発言をされているようなので,そういう場に呼ばれるような有識者なのだろう。
私は大学で歴史を学んだ文系なので,これからも地方の国立大学でも文系の学問が学べる状況が続いてもらいたいと考える。
まず,大学で簿記会計と言うが,これは商学部経営学部で学ぶことができるのでは?それに,もしも企業が文系学部で経済学や歴史学などを学んだ学生よりも,簿記会計の知識や技術を身につけた人材が欲しいと思うなら専門学校の卒業生を採用すればいいのではないか。実際,企業はどちらの人材を選ぶのだろう。もしも実学である簿記会計を学んだ専門学校生よりも,文系学部で学んだ大学生の方が企業から選ばれるのであれば,企業が求める力を身につけられるのは大学なのでは?
ちょっとした言葉の端々を捉えて色々といっても,「それはたとえの話だ」となりそうなので,別の視点からも考えてみる。
10年ほど前,ニートが問題になって以来,大学や高校でキャリア教育が重視されるようになった。当初は,自分の適性を知り自分に合った職業を選ぶために行うことだと言われてきた。
しかし,最近は,以前のエントリで書いたように,キャリア教育も次のステージに入っている。
つまり,高度経済成長以来,企業が求めてきたマニュアルを覚え指示されたことを正確に行うことのできる人材ではなく,変化の激しい状況の中で目の前の問題を自分の力で考え克服していく力を持った人材が必要とされているのだから,問題を解決する力を身につけさせるべきだと。
問題を解決する力を生きる力として,それを身につけさせるために授業で観点別評価を導入し,授業を通して生きる力を身につけさせようとしてきたのではないか。
だから,例えば高校の日本史の授業でも,過去に起こった出来事を多面的・多角的に見て思考させたり,考えたことを表現させるなどの活動をしてきたのではないか。
大学の講義を通して学生が身につける力も同じことでは?講義をする教授が深く追求してきたことを講義を通して学生が追体験し,物事を深く追求するためにはどうしたらいいのかという方法を学んでいるのでは?
もしも大学で教える文系の学問が無駄というなら,高校で学ぶ日本史や,もしかしたら数学や物理なども実学ではないから必要ないとなるのではないだろうか。

シリーズ日本近世史1

シリーズ日本近世史?『戦国乱世から太平の世へ』藤井譲治(岩波新書)を読了。読書メモを残す。
まず「天下」という言葉について,

「天下」の語の意味について,・・・信長期の「天下」は,空間的には主として京都あるいは畿内の意であるとした。


「天下」の言葉は秀吉の時代にも同じような意味で捉えられていたようで,そうなると教科書にある信長が美濃を手に入れ,そこから「天下布武」の印判を使うようになったという話も,信長の全国統一を目指した野心として考えるのは飛躍していることになってしまう。
戦国時代の実像として,藤木久志氏の論を紹介しながら書いているが。

戦国の戦が「領土拡張戦争」であっただけでなく,「食うための戦争」であった

戦場で生け捕りにされた人々は連れ帰られて,売り払われる。戦国時代にはそのような人身売買が行われていた。


最近,誰から日本には奴隷の仕組みがなかったというような発言をしている人がいたようだが,そのようなことはない。
秀吉の「惣無事令」は山川出版の新カリの教科書では欄外の注にそういう考えもあるというように扱われ,以前よりもトーンダウンしている。これについても説明がある。
まず,秀吉が「惣無事」という言葉を使うのは,秀吉の関白就任以前からのことで,そうなると秀吉が関白つまり天皇の権威を利用して停戦を求めたという「惣無事令」の説明が成立しなくなる。

「惣無事」は,秀吉が,東国における講和の一形態である「無事」を踏まえ,新たな地域あるいは諸大名や諸領主を自らの勢力下におくためにとった働きかけの一つの形態であり,強力な政権が一方的にそれらの領主に命じた「令」でも,その機能が永続的なものでもない。さらにその法源は,関白任官いいかえれば天皇権威には求めえない。

信長の時代の貨幣政策として悪銭でも強引に流通させようとする撰銭令が出されており,それが経済を混乱させた。秀吉も悪銭を使用するようにさせているが,その頃からは金銀の使用も行われてきており,後藤徳乗に大判を作らせ,常是座に銀の掌握をさせている。

従来の研究史では銭の希少化と撰銭による混乱のなかで金銀の使用が始まったとの脈絡で語られることが多い。・・・それ以上にこの期の金銀使用の増大は,織豊期,殊に秀吉以降の領主財政の爆発的拡大とそれにともなう流通経済の拡張という要素を組み込んで位置づける必要があろう。

関ヶ原の合戦が天下分け目の戦いだというのは説明する必要のないことだと思っているので,教科書の欄外の注に敗者の側から没収した領地のことなどが書いているのを何となく読むだけにしてしまっているが,

家康が論功行賞に充てうる高は七八三万石にのぼる。この高は,当時の日本全体の石高一八五〇万石の約四二パーセントにあたる。

と読み,それだから家康の地位が向上したのだと説明することも必要だと感じた。
そして家康が将軍になったことで,

将軍となるや秀頼のもとに礼に出向かなくなり,諸大名の秀頼への年頭の礼もこれ以降姿を消し,諸大名の礼は家康へのもののみとなる。

関ヶ原の勝利と征夷大将軍就任が家康の地位にどれほど大きな影響を与えたのかという説明をするときに使えそう。
禁教政策の本格化について,岡本大八の事件がきっかけと言われている。

この事件の当事者,有馬晴信,岡本大八がともにキリシタンであったことから,家康は,大八を火刑に処した三月,駿府・江戸・長崎などでのキリスト教の禁止とキリシタン寺院の破却を命じる。

私はこう説明されても,岡本大八事件が本格的禁教政策はじまりのきっかけであることが,理解できない。
有馬晴信が家康の命でポルトガル船を撃沈し,その功として晴信が失った旧領地を恩賞として受け取れるよう斡旋するとした岡本大八が晴信から賄賂を受け取る。いっこうに家康から恩賞の話がないことから晴信が本多正純に問うたことから事件が発覚。それで晴信と大八がキリシタンだから,本格的に禁教策をはじめたというのは,その間に話を加えないと説明がつかないように思うのだが・・
禁教政策の本格化の中で京都や大坂,堺で宗門改が行われ,キリシタンであることがわかると棄教を迫り,従わなければ津軽に追放。宣教師については長崎へ集められ,追放される。これは禁教策の徹底であると同時に

大坂冬の陣を前にしてキリシタンが豊臣方に引き込まれるのを防止する側面もあった。

新カリの教科書から,公家衆法度の用語が追加された。これについては幕府による朝廷統制の一部と説明をしたらそれで良いが,

この法度もまた天皇を介することなく公家衆に出されたものであり,

ということを教えるのも重要な気がする。
一国一城令は大坂の役の直後に出されたもので,これは幕府による大名統制のひとつと位置づけることができる。教科書にある,1615年には

この時対象となったのはすべての地域の城ではなく,西国の城であった。

ということも伝えておくと,幕府がいかに西国の大名を警戒していたかということが伝わる。また,

他方でこの政策は大名の有力家臣が所持する城郭の否定,大名による城郭独占を意味し,家臣に対する大名の権限強化につながった。

という見方にも気付かせることで,一国一城令を多面的に見ることができるようになる。
西国大名のことでいうと,福島正則の改易について,

広島城受取に中国・四国の大名を動員することで秀忠の軍事指揮権が西国大大名にも及ぶことを明確化するものだった。

力のある大名でも法度違反で改易させられるほどの将軍の力を示したという説明で終わっていた福島正則の改易を,城の受取の話まですることで,将軍の力をもっと説明ができるようになる。そして,改易後に譜代大名を西国に配置したことも加えておけば,さらに幕府の力の拡大を説明できる。
私が高校時代に習った慶安の御触書が今は存在を否定されていることは,教科書にも出ている。
幕府の農民統制の中で,田畑永代売買の禁止令についても勘違いをしていたことがあった。

田畑永代売買禁止令という名からこの禁止令が独立した法令であるかのように思われがちである。しかし,事実は,前述した寛永二〇年三月に出された飢饉対策のための二つの郷村仕置定のそれぞれの一か条にすぎない。

しかも,全国を対象とした禁止令だと思っていたが,実際には関東の幕府領を対象としたものだったようだ。
印象が強かった内容について以上書いてみた。次年度以降の授業に組み込めるようにしていきたい。

第2ステージのキャリア教育

教育委員会の偉い人の講話から
これまでのキャリア教育は,自分に合う職業を選択させることを重視しすぎた。
自己分析をさせ,自分の適性を知り,自分に合う職業を見出す。
しかし,それがなかなか見つからずに,いつまでも自分に合う仕事の求人が来るまで待ち続ける自分探しをする人を増やしてしまった。
これからは働くということについて,別の視点を持たせる必要がある。
(「人生は働くこと」とメモしているが,このあたりの話は内容を思い出そうとしてもイマイチ思い出せない。)
我々は学校と企業で教育の方法が違うということを理解する必要がある。
企業に「求められる人材とは?」と聞けば,「元気がいい」「明るい」「挨拶ができる」「忍耐力がある」などという答えが返ってくる。そこには,仕事は身につくまでに時間がかかるものだから,それまでは元気で明るく誰からも好かれる存在でいることが,仕事を早く覚える意味でも重要だからなのだ。
このような企業の「求められる生徒像」に対して,学校側は考える。
「普段の教育活動(授業)を通して企業が求める資質を身につけさせるためにはどうしたらいいのだろうかと。
しかし,授業を通して身につけさせたい力はそういうものではなく,基礎的基本的な知識や物事を追求する思考力である。
最初は明るく,元気な存在であるだけでよかったとしても,仕事に慣れて将来を担う存在として期待を寄せられるようになれば,それに応えられるだけの能力がなければいけなくなる。
だから採用の瞬間は,明るく元気であれば良いのかもしれないが,長期的に考えれば,基礎的基本的な知識や難しい問題に対して試行錯誤しながら答えを導いていく力が本当に生きていくのに必要な力なのだ。
これを第2ステージのキャリア教育という。
この話は,メモを取っているうちに,必ずまとめて残しておきたいと思った。
勉強のできない生徒に対して,「あいつは勉強はできないけど,生きる力があるから大丈夫だ」っていう人がいるが,今まで私はそれに違和感を感じていた。
勉強を教える立場の教員が,勉強のできない生徒に対して,「それでいいんだ」と認めてしまうことに。
それに対する一つの答えのような気がしたからだろうか。

新課程の山川出版『詳説日本史』をどう教えるか?〜近世初期

山川出版社の新課程の日本史Bの教科書は,新しい項目が立てられたりしていて,同じ教科書でも当然毎年教材研究を深めてはいるが,新しい項目についてはゼロからのスタートなので悩むことが多い。鎌倉時代に北海道や沖縄のことが新たに登場したのは,実際はこれまで室町時代で扱っていた話の一部が鎌倉時代に移っただけなので戸惑わなかったが,江戸時代の「幕藩社会の構造」については,自分の教材研究不足もあってどう教えていいのか本当に困ってしまった。
そこで,今のところどのように考えたらいいのかをまとめておく。
まず『学習指導要領解説地理歴史』から,この部分の目標を確認しておくと,
イ 近世国家の形成
ヨーロッパ世界との接触やアジア各地との関係,織豊政権幕藩体制下の政治・経済基盤,身分制度の形成や儒学の役割,文化の特色に着目して,近世国家の形成過程とその特色や社会の仕組みについて考察させる。
とある。解説部分には,
織豊政権幕藩体制とのつながりに着目して,検地や刀狩,惣無事令などの政策や身分制度の形成が近世の政治,経済や社会の基盤形成に果たした役割を,兵農分離や村落・都市支配などの観点から考察させる…」
とあり,検地や刀狩などの豊臣政権の政策と江戸幕府の支配によって近世の社会がどのように変化したのかを考えればいいのだろうか。
山川出版の『詳説日本史教授資料 授業実践編』の最初のページにある指導計画も参考にしてみる。
4 幕藩社会の構造
学習内容
幕藩体制の確立期の経済・社会を兵農分離や村落・都市支配などの観点から,多面的・多角的に考察する。
評価規準
幕藩体制下の支配体制,封建的身分秩序の形成,経済的基盤などを踏まえて考察できたか。
新課程では,近世以前についても「考察する」になって,本来であれば考えさせる授業を行わなければいけない。しかし,自分の力では教えることが限界・・・ネタが欲しいところ。
そういえば,この前テレビ番組で熊本大学にある細川家の史料からたくさんの新事実が!という話の中で,江戸時代でも鉄砲改が行われており,村落に多数の鉄砲があることから,江戸時代の平和な社会が豊臣政権で行われた刀狩によって百姓が武器を全く持たなかったことによるものではないということがわかった。というようなことを説明していたが,今でもそのような教え方をしているのだろうか。
脱線してしまったが,教科書の「幕藩社会の構造」を今のところ自分がどう理解しているのかを以下に書いていく。
最初の項目では,支配身分と被支配身分,そして差別を受けていた人々の事など身分についてが説明されている。その中で,「これらの武士は主人の家を中心に結集し,村や町,あるいは仲間・組合などのさまざまな集団によって構成される社会を,身分と法の秩序にもとづいて支配した。」という文があり,「幕藩社会の構造」は,ここでいう「さまざまな集団」を続きで説明をしていると考えればいいような気がする。
「村と百姓」の項目では,村には「百姓の小経営と暮らしを支える自治的な組織」があり,幕藩体制は農業生産のうえに成り立っているので,小経営を安定させるために田畑永代売買の禁令や,分地制限令,そして日常の生活にもこまごまと規制を加えているという内容。
「町と町人」の項目では,兵農分離によって城下町に集住することになった武士の生活を支えるため,営業の自由や地子免除といった特権が与えられた町人が居住していた。また,農村のように重い年貢負担はないが,都市機能を支えるために町人足役の負担をしなければいけなかった。村と同じように自治組織を持っている町に住む人々は,農村と比べると多様だったため,都市には町という共同体のほかにも,仲間・組合・講といった職種ごとの集団も形成されていたという内容を教える。と言うことは仲間・組合・講といった職種ごとの集団についても説明の必要があるか。
「農業」の項目では,近世の農業が家族単位での労働により,「零細ではあるが高度な技術を駆使する小経営」だったことが特徴だということがキーワード。が第7章で備中鍬や唐箕などの農具の名前が具体的に教えられるのに対し,この項目ではそれぞれの農作業に適した農具が発達し,しかもそれは鉄製品であり,城下町の職人が農村をまわっていたからこそ,改良することができた。そして,家族単位の小経営をしていくためには,用水や共同利用地の管理,そして共同労働など,村という社会が無ければ成立しないということを伝える。
この項目の農作業のそれぞれに適した農具が改良されていったことを言いながら,具体的な農具の名前については次の章の経済の発展の部分で書かれていることが,この項目では何を教えたらいいのかという迷いを強めてしまう。
林業・漁業」の項目,中世の部分で紀伊国阿弖河荘民の訴状に登場する人々も材木を年貢として荘園領主におさめていたから,林業を専業とする人々は近世になって登場したわけではない。教科書にも「国土の大半が山でおおわれる日本では,村や城下町の多くが山と深い関わりをもった。」とあり,林業が現代の私たち以上に村落や都市の人々の生活に関わっていたことを理解させなければいけない。
漁業については,近世には「動物性蛋白源として」だけでなく,「肥料(魚肥)に用いるために魚介類を獲得することを目指して,多様に発達した。」ことを理解させるのだが,これも次の章の経済の発展の部分で干鰯や〆粕などの具体的な名前を教えるので,ではここでは何を?となってしまう。
生産地である漁村と消費地である城下町との関係には,城下町の魚問屋と漁村の網元のつながりがあり,漁業の発展や流通には魚問屋の資金が大きな役割をはたしていた。という部分は今までにない記述で,魚問屋の活動については勉強したことが無いので,教材研究の必要がある。
「手工業・鉱山業」「近世は,職人の時代でもあった。」で始まるこの項目は,近世の手工業が多くの道具を駆使する高度な技術をともなって発達したことを理解させなければいけない。また,職人は近世の初めには,幕府や大名に把握され支配身分に技術労働を無償で奉仕する人々とされていたが,17世紀中頃になると,民間の需要にともなって発達したという展開も伝える。
また,手工業生産は都市でおこなわれただけでなく,村落で「農間渡世」として木綿や和紙の生産がおこなわれていたという内容は,次の章の経済の発展のなかで問屋制家内工業について扱うことがあるので,そことのつながりも意識する必要があるだろう。
鉱山業については,戦国大名による開発の時代から技術が発達し,銀については17世紀初めに世界有数の銀産出国にまでなったことを理解させる。
また,長崎貿易最大の輸出品にまでなった銅の生産についても伝えなければいけないが,考えてみたら今まで輸出された銅が海外で何に利用されていたのかを考えたことがなかった・・・
鉱山業の技術の発達は,治水・溜池・用水路の開削技術に転用され農業生産の拡大にも大きく貢献したという,さまざまな産業がどこかで結びついているということを意識させることも大切な事。
「商業」の項目については,近世初期には権力と結びつき与えられた特権や,未発達な商品流通の状況の中で国内流通を担った初期豪商の時代から,鎖国や全国市場の確立によって初期の豪商が衰えた。17世紀後半になると問屋商人が商品流通を支配するようになる。さらに営業の独占を狙って仲間や組合を結成する動きも見られた。という商業の大きな動きを理解させる必要がある。その時,近世初期は楽市の政策があるので仲間や組合は禁じられたものであり,これが認められるようになるのは,黙認された元禄期頃からと説明も必要だろう。
とりとめもなく教科書を読みながら書いてみたが,意外に自分にとっては頭の中が整理できたように思う。
もう少し深まってきたら,もう少し説明できるようになるだろうか?