以前,紹介した『ミライの授業』の著者である瀧本さんが亡くなったそうです。

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読んで勇気がでる本を書いてくれてありがとうございました。

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亡くなってしまったのは残念ですが,これからも瀧本さんの言葉で多くの子どもたちが勇気づけられることと思います。

 

ご冥福をお祈りします。

『歴史を歴史家から取り戻せ』―史的な思考法―

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上田信『歴史を歴史家から取り戻せ―史的な思考法―』歴史総合パートナーズ,清水書院,2018年を読みました。

 

 「人類は進歩を続けている」といわれて,それを素直に受け入れる人は少ないのではないかと思います。環境問題や南北問題など,身の回りで起きていることを考えると,次の一歩をどこに踏み出したらよいのか迷うことが多いのではないかと思います。そんなときに「史的な思考法」が参考になるというのが,この本が伝えることです。本のタイトル『歴史を歴史家から取り戻せ!―史的な思考法―』は,「史的な思考法」は歴史家だけが身につけたらいい思考法ではなく,よりよい未来をつくる私たちひとりひとりが身につけなければいけないというのを,少し強く訴えているタイトルなのかと思います。


 この本は清水書院の「歴史総合パートナーズ」というシリーズのなかの一つです。シリーズタイトルから,2022年から高校で必修科目として始まる「歴史総合」を意識したシリーズであることがわかります。多くの人が思っているであろう「歴史は暗記物」という意識を変え,歴史の授業は歴史的なものの見方・考え方を身につけるものだという意識改革をねらったものだと思います。


 とはいっても,歴史的なものの見方が身につくことが自分の何の役に立つのか。そういう疑問が出てくるのは当然です。だから授業を通して身につけられる考え方が,決して歴史を勉強するときにだけ役立つものではない,日常の生活の中でも生かされるものだとこの本は伝えます。おわりに―史的な思考法マニュアル―では,

 


 史的な思考法は.歴史を学習するための方法ではありません。
 私たちが活動し生活する現代の社会において,「ここ」で生まれ育ち,「ここ」を中心とする世界で生きている「私」のことを,「そこ」で生まれ育ち,「そこ」を中心とする世界で生きている「あなた」に,しっかりと説明しなければならない場面に,必ず遭遇することになるでしよう。「ここ」から遠く離れた「そこ」に生きる「あなた」のことを,「そこ」の世界の歴史や文化のなかで理解する必要に迫られることもあると思います。地球の反対側の町に駐在することになったり,地球の反対側から訪れた客人を迎えたり, SNSでコンタクトを取ったりすることは,今後ますます日常茶飯の出来事になると思います。
 そうしたときに,自分とは異なるといって,忌諱したり差別したりするのは,悲しいことです。史的な思考法は, 「ここ」の私と「そこ」のあなたとをつなげるための,一つのマニュアルであると考えてください。


 自分とは異なる他者との関わりにも「史的な思考法」は役に立つ考え方だとしています。そういわれても,自分は国際化なんて関係ないという人もいるかもしれませんが,自分とは背景の異なる他者は別に外国の人だけを意味するものではないですよね。自分が関わる他者は,みんな異なる背景を持つ人たちなのですから。だから,よりよい人間関係を築くため,「史的な思考法」を身につけましょう。

 

 ただ,著者も「抽象的な議論を展開」と書いているように,理解するのが難しいと感じる人もいるかもしれません。「歴史総合」の「パートナー」と謳っているのだから,もう少し易しい内容でもとも思いました。

 

 

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』

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『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』新井紀子東洋経済新報社

 今週,新井紀子さんの講演を聴きました。それを深めるためにずっと読みたいと思っていた『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を購入しました。


 最近,教育に関する研修を受けると必ず前置きとして話題になるのが,オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授が同大学のカール・ベネディクト・フライ研究員とともに著した『雇用の未来?コンピューター化によって仕事は失われるのか』という論文の,あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」の話です。社会の急速な変化に対応する力を育むためには,教育が変わらなければいけないと。

 

 著者は現在のAI技術は万能ではなく数学の公式に置き換えられることしかできないから,AIが人間の脳を凌駕しAI自身が自らを超えるAIを作る世の中が来ることは今の状況ではないとし,現在のAI技術の限界を指摘しています。しかし,人間がAIに超えられることはないから安心してというのではありません。現在のAI技術が克服できないのは,言葉の意味を理解する力だそうです。文字で書いていることを理解するのは簡単なように思えますが,例えば「山口と広島へ行った。」という文は,山口を場所ととらえるか,人物名ととらえるかで意味が違ってきます。話の流れの中で私たちは簡単に理解できることでも,AIに理解させるのは難しいそうです。ですから,AIに仕事を奪われたとしても,AIにできないことを人間の仕事とすれば問題ないはずです。

 

 しかし,日本の中高生の多くは,中学校の教科書の文章を正確に理解できません。そのため子どもたちができる仕事はAIに奪われてしまい,職はあっても能力がないために就職することができないのです。教科書が読めないなんて信じられないと思うかもしれませんが,リーディングスキルテストという読解力を測る調査によって,子どもたちの大部分の読解力はAIに代替可能な程度の能力だったそうです。

 

 文部科学省は,新しい学習指導要領から社会の変化に対応するために育む力のひとつとして,「学びを社会に生かそうとする学びに向かう力」をあげいます。しかし,教科書を自分で読むことができないとなると「学びに向かう」ためには,まず教科書を自分で読み理解する力を身につけさせることこそが「学びに向かう力」ではないかとも思えます。そういう意味もあってか,著者はAL(アクティブラーニング)を重視する新しい学習指導要領には否定的です。

 

 AIができる仕事は増え,読解力の低い人間は,AIによって仕事が奪われてしまうことは確実です。では,子どもたちが読解力を高めるにはどうしたらよいのか。それには,子どもたちがどの段階でつまづいているのかを正確に把握し,対処の仕方を考えなければいけないとしています。何にでも効果のある処方箋は見つかっていない状況のようです。

 

 私もいくつか読解力不足という意味で実感していることがあるので,対処法を試行錯誤してみようと思います。



smooch coffee stand

中島公園の向かいにある,smooch soffee stand に行ってきました。

公園の木々を眺めながらおいしいコーヒーを飲むことができます。

 

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コーヒースタンドというのは,カフェとは違うジャンルらしく,テイクアウトや立ち飲みをメインとしていて,チェーン店のような規模の大きなものでなく個人経営の形態だそうです。

 

立ち飲みやテイクアウトがメインとなると,他の喫茶店やカフェのように居心地のいい空間を提供しているのではなく,コーヒーの味にこだわるということになります。

こちらもコーヒーの種類が豊富!

そして,私が「飲みやすいコーヒー」とか「いつもはブラジルを飲みます」みたいなあいまいなことを伝えたところ,私にあわせたコーヒーを飲ませてくれました。

 

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福岡でコーヒーを飲んだ時も,テーブルはあるけど椅子はない,STEREO COFFEE でコーヒーをいただきましたが,こちらも「スタンド」という形態だったのですね。

 

色々なコーヒースタンドめぐりをしているうちに,私はおそらく「ならば自分でもおいしいコーヒーを淹れてみよう」って流れになりそうな気がします。そうなるまでは,淹れることより味を楽しむことを追求してみます。

指導理論

ヴィッセル神戸の「アカデミーアドバイザー」に,スペインバルセロナの育成部門で統括責任者を務めていたアルベルト・ベナイジャス氏が就任したというニュースを読みました。彼の哲学はサッカー以外のスポーツにも当てはまるなと思ったので記録に残しておきます。

www.asahi.com

 

まず,サッカーは足で球をあつかうという日常生活にはない動きをしながら,チームで行うスポーツだから次のことが重要になる。

 「私が育成トップにいた時は個人への人間的教育、周囲とのコミュニケーション能力の向上、サッカー選手としての技術の進歩。これを三つの柱としていた」

 非日常の動きをするのだから,その技術を身につけるには粘り強さが必要。だから

 「謙虚に学び、取り組みたいと思わないことには成長は難しい。そもそも取り組もうとする姿勢が伴わなければ、何も身につかない」

 として人間性を重視しています。

また,幼少期の選手の指導には,チームで行うスポーツなのだから

「10歳以下は『仲間と仲良くしよう』『時間をしっかり守ろう』などということ。学校や家庭、地域で身につける価値観を学ぶだけのこと。ただ同年代と横断的にだけでも、年上の人間と縦断的にだけでもない、両方を合わせたダイアゴナル(対角的)なコミュニケーションの向上を意識している」

ということを重要視しているそうです。

 

これらのことって,別にサッカーだけに言えることではないですよね。

バドミントンだってフットワークは日常生活にはない動きで,ラケットワークはとても複雑だと思います。そういう技術を学ぶには,謙虚に学ぼうという姿勢がなければ向上はありえません。

 

自分がこれまで何となく思っていたことを,言語化してくれた気がします。

 

最後に

 サッカーの現状に対して提言がある。「よく起こる間違いは選手のアスリート的要素ばかりを重要視し、試合状況、試合展開を認知したり、認識したりする大切さを忘れてしまうことだ。実はそこがサッカーにおいては最も重要」

 ハリルホジッチ監督が解任されたとき,何かの記事で読みました。日本人は指示されたことを正確にやることはできるが,ピッチで状況を判断し自分で考えて動くことができない。それをハリルは実現しようとしたが,日本人の特性に合わなかったというような記事でした。

フィジカルが高くなくても状況判断にすぐれた選手の方が将来の活躍があり得るということですが,状況判断を鍛えるにはどのような指導があるのでしょう?