第2次大隈内閣

1914年4月にはじまった大隈重信による2度目の内閣は,第1次護憲運動やシーメンス事件など薩摩や長州の藩閥や軍部に対する国民の不満が噴出するなかで成立した。第1次護憲運動は陸軍大臣上原勇作が2個師団増設を首相西園寺公望に拒否されたことに対して大臣を辞職し,後任の大臣を陸軍が推薦しなかったことで,内閣総辞職に追い込まれたことについて,国民や政党の勢力が軍部のあり方や藩閥政治に対して強い不満をあらわした動きといえる。これによって,桂太郎内閣は辞職に追い込まれたが,国民の期待する政党勢力からの首相は推薦されず,海軍出身の山本権兵衛が組閣する。しかし,山本は海軍の汚職事件の責任を取って辞職した。
このようなそれまでの政治に対する不満が大きくなるなかで,国民の人気が高い人物を首相にという動きによって,大隈が第2次大隈内閣を組閣する。そして,人気を背景に元老の要求する法案を可決させていく。その中には不景気な状況の中での,軍備拡張もふくまれていた。そして,懸案だった法案を可決させると,元老からは用済みということで,辞職に追い込まれていく。

最近,あまりにも急ぎすぎる感じで法案が国会を通過していきます。現内閣って,第2次大隈内閣に似ているなって,そう感じたので書いてみました。
意味がわかりにくかったら申し訳ない。