「そのとき歴史が動いた」で長谷川平蔵を見直しました

NHKの歴史番組,好きです。
今日は長谷川平蔵の特集でした。鬼平犯科帳鬼平が実在した人物だと思っていない人もいるかもしれませんが,松平定信寛政の改革(18世紀後半)の時代の実在の人物です。
今日の番組を見て,初めて知ったこともあったので,忘れないようにここに書き留めておきます。

長谷川平蔵天明の打ちこわしの鎮圧に活躍した

天明の打ちこわしは,江戸で初めておこった民衆の暴動です。米屋や酒屋を襲う打ちこわしが,「将軍のお膝元」である江戸でおこったことは幕府にとっては衝撃的なことでした。
しかも,

町奉行には打ちこわしを鎮圧する力がなかった。というのも,当時の町奉行はほとんどが行政職で,実際に見回りなど警察のような仕事をしていたのは十数人だったとか・・・

時代劇を見ていれば,たくさんの提灯を持った同心たちが「御用だ」って言いながら犯罪者を取り囲むシーンを見ますが,そんなにたくさんは居なかったということですね。

火付盗賊改方」が取り締まった犯罪のほとんどは,スリなどで,強盗や放火はわずか。そして犯罪をおかした人の多くが,無宿人(農村での暮らしを捨て,江戸へ流入し,地元で人別帳から外されてしまった)だったこと。


鬼平と言えばすごい犯罪組織と戦うイメージがありますが,仕事のほとんどはスリや衣類の泥棒などだったようです。そして,そのような犯罪を犯してしまう無宿人に対しては,捕まえるだけでは問題の解決にはならないという気持ちがあったようです。

松平定信寛政の改革で,無宿人対策として実施した人返しは,江戸の無宿人を地元に返されたら,受け入れる方で治安の問題が生じるということで,大名が反対して失敗に終わった。そこで,新たな無宿人対策を定信が求めたが,意見を出すものは長谷川平蔵以外にはいなかった。

もともと自分のところの領民だった人々の受け入れを渋るなんて,領主としてあるまじき行為ですよね。しかも,そうやって農村が荒廃してくことが飢饉の頻発する原因であり,それが物価を高騰させて各地で打ちこわしをおこすことになっているのに。対して,無宿人がどういう人々であるかを知り,どうして無宿人になっているのかを知っていた長谷川平蔵には,打ちこわしや犯罪蔵かの背景がわかっていたのでしょう。

定信に提案したのは,犯罪をおかしてしまった人に職業訓練を施し,社会復帰を促すという人足寄場の設置だった。

犯罪者の多くが職を求めて江戸に流入した無宿人であり,彼らにまともな就業先がなかったことが,犯罪増加の原因であるということに気づいた平蔵は,人足寄場を設置しました。人足のつくった商品は江戸市中で売られて,特に古紙を漉きなおしたリサイクルペーパーは,たいへん人気が高かったそうです。

人足のつくった物の売り上げ金は,8割を人足に渡して社会復帰のために貯蓄させていた。

販売価格はわかりませんが,8割も渡してしまうなんて太っ腹ですね!

人足の脱走をきっかけに,人足に職を教えるだけではなく,心の教育が必要だということを知り,心学者が堪忍の大切さなど問いた。

手に職をつけるだけでは,気持ちまですさんでしまって犯罪をしてしまった人を変えることはできないと感じたのでしょう。欲望をおさえる気持ちを具体例を交えてわかりやすく教えたことで,人足たちの気持ちは少しずつかわっていったということです。朱子学ではなく,心学を講義するというところも面白いです。寛政の改革では,寛政異学の禁という学問統制をしていますが,その中で異学を教えることができたということとは,異学の禁という政策が本当に昌平坂学問所でのも行われていた政策だったことがわかります。

人足寄場の制度は定信が老中を辞した後も幕末まで続けられます。そればかりか,諸藩でも同様の制度をまねていったそうです。
平蔵は人足寄場の担当を外れてからも,人足たちのことを気遣い,人足が社会復帰をする時の身元引き受け人が信用できるものかどうかを調べたりしていたそうです。番組の結びでは,平蔵の戒名を人足寄場を最後まで気にかけていた態度をあらわすもの「かもしれない」と結んでいました。定信が引退後に著した「宇下人言」で人足寄場をつくらせた平蔵を高く評価しているそうで,それならもう少し寛政の改革の中で平蔵を大きく扱ってもいいのではと思いました。