新課程の山川出版『詳説日本史』をどう教えるか?〜近世初期

山川出版社の新課程の日本史Bの教科書は,新しい項目が立てられたりしていて,同じ教科書でも当然毎年教材研究を深めてはいるが,新しい項目についてはゼロからのスタートなので悩むことが多い。鎌倉時代に北海道や沖縄のことが新たに登場したのは,実際はこれまで室町時代で扱っていた話の一部が鎌倉時代に移っただけなので戸惑わなかったが,江戸時代の「幕藩社会の構造」については,自分の教材研究不足もあってどう教えていいのか本当に困ってしまった。
そこで,今のところどのように考えたらいいのかをまとめておく。
まず『学習指導要領解説地理歴史』から,この部分の目標を確認しておくと,
イ 近世国家の形成
ヨーロッパ世界との接触やアジア各地との関係,織豊政権幕藩体制下の政治・経済基盤,身分制度の形成や儒学の役割,文化の特色に着目して,近世国家の形成過程とその特色や社会の仕組みについて考察させる。
とある。解説部分には,
織豊政権幕藩体制とのつながりに着目して,検地や刀狩,惣無事令などの政策や身分制度の形成が近世の政治,経済や社会の基盤形成に果たした役割を,兵農分離や村落・都市支配などの観点から考察させる…」
とあり,検地や刀狩などの豊臣政権の政策と江戸幕府の支配によって近世の社会がどのように変化したのかを考えればいいのだろうか。
山川出版の『詳説日本史教授資料 授業実践編』の最初のページにある指導計画も参考にしてみる。
4 幕藩社会の構造
学習内容
幕藩体制の確立期の経済・社会を兵農分離や村落・都市支配などの観点から,多面的・多角的に考察する。
評価規準
幕藩体制下の支配体制,封建的身分秩序の形成,経済的基盤などを踏まえて考察できたか。
新課程では,近世以前についても「考察する」になって,本来であれば考えさせる授業を行わなければいけない。しかし,自分の力では教えることが限界・・・ネタが欲しいところ。
そういえば,この前テレビ番組で熊本大学にある細川家の史料からたくさんの新事実が!という話の中で,江戸時代でも鉄砲改が行われており,村落に多数の鉄砲があることから,江戸時代の平和な社会が豊臣政権で行われた刀狩によって百姓が武器を全く持たなかったことによるものではないということがわかった。というようなことを説明していたが,今でもそのような教え方をしているのだろうか。
脱線してしまったが,教科書の「幕藩社会の構造」を今のところ自分がどう理解しているのかを以下に書いていく。
最初の項目では,支配身分と被支配身分,そして差別を受けていた人々の事など身分についてが説明されている。その中で,「これらの武士は主人の家を中心に結集し,村や町,あるいは仲間・組合などのさまざまな集団によって構成される社会を,身分と法の秩序にもとづいて支配した。」という文があり,「幕藩社会の構造」は,ここでいう「さまざまな集団」を続きで説明をしていると考えればいいような気がする。
「村と百姓」の項目では,村には「百姓の小経営と暮らしを支える自治的な組織」があり,幕藩体制は農業生産のうえに成り立っているので,小経営を安定させるために田畑永代売買の禁令や,分地制限令,そして日常の生活にもこまごまと規制を加えているという内容。
「町と町人」の項目では,兵農分離によって城下町に集住することになった武士の生活を支えるため,営業の自由や地子免除といった特権が与えられた町人が居住していた。また,農村のように重い年貢負担はないが,都市機能を支えるために町人足役の負担をしなければいけなかった。村と同じように自治組織を持っている町に住む人々は,農村と比べると多様だったため,都市には町という共同体のほかにも,仲間・組合・講といった職種ごとの集団も形成されていたという内容を教える。と言うことは仲間・組合・講といった職種ごとの集団についても説明の必要があるか。
「農業」の項目では,近世の農業が家族単位での労働により,「零細ではあるが高度な技術を駆使する小経営」だったことが特徴だということがキーワード。が第7章で備中鍬や唐箕などの農具の名前が具体的に教えられるのに対し,この項目ではそれぞれの農作業に適した農具が発達し,しかもそれは鉄製品であり,城下町の職人が農村をまわっていたからこそ,改良することができた。そして,家族単位の小経営をしていくためには,用水や共同利用地の管理,そして共同労働など,村という社会が無ければ成立しないということを伝える。
この項目の農作業のそれぞれに適した農具が改良されていったことを言いながら,具体的な農具の名前については次の章の経済の発展の部分で書かれていることが,この項目では何を教えたらいいのかという迷いを強めてしまう。
林業・漁業」の項目,中世の部分で紀伊国阿弖河荘民の訴状に登場する人々も材木を年貢として荘園領主におさめていたから,林業を専業とする人々は近世になって登場したわけではない。教科書にも「国土の大半が山でおおわれる日本では,村や城下町の多くが山と深い関わりをもった。」とあり,林業が現代の私たち以上に村落や都市の人々の生活に関わっていたことを理解させなければいけない。
漁業については,近世には「動物性蛋白源として」だけでなく,「肥料(魚肥)に用いるために魚介類を獲得することを目指して,多様に発達した。」ことを理解させるのだが,これも次の章の経済の発展の部分で干鰯や〆粕などの具体的な名前を教えるので,ではここでは何を?となってしまう。
生産地である漁村と消費地である城下町との関係には,城下町の魚問屋と漁村の網元のつながりがあり,漁業の発展や流通には魚問屋の資金が大きな役割をはたしていた。という部分は今までにない記述で,魚問屋の活動については勉強したことが無いので,教材研究の必要がある。
「手工業・鉱山業」「近世は,職人の時代でもあった。」で始まるこの項目は,近世の手工業が多くの道具を駆使する高度な技術をともなって発達したことを理解させなければいけない。また,職人は近世の初めには,幕府や大名に把握され支配身分に技術労働を無償で奉仕する人々とされていたが,17世紀中頃になると,民間の需要にともなって発達したという展開も伝える。
また,手工業生産は都市でおこなわれただけでなく,村落で「農間渡世」として木綿や和紙の生産がおこなわれていたという内容は,次の章の経済の発展のなかで問屋制家内工業について扱うことがあるので,そことのつながりも意識する必要があるだろう。
鉱山業については,戦国大名による開発の時代から技術が発達し,銀については17世紀初めに世界有数の銀産出国にまでなったことを理解させる。
また,長崎貿易最大の輸出品にまでなった銅の生産についても伝えなければいけないが,考えてみたら今まで輸出された銅が海外で何に利用されていたのかを考えたことがなかった・・・
鉱山業の技術の発達は,治水・溜池・用水路の開削技術に転用され農業生産の拡大にも大きく貢献したという,さまざまな産業がどこかで結びついているということを意識させることも大切な事。
「商業」の項目については,近世初期には権力と結びつき与えられた特権や,未発達な商品流通の状況の中で国内流通を担った初期豪商の時代から,鎖国や全国市場の確立によって初期の豪商が衰えた。17世紀後半になると問屋商人が商品流通を支配するようになる。さらに営業の独占を狙って仲間や組合を結成する動きも見られた。という商業の大きな動きを理解させる必要がある。その時,近世初期は楽市の政策があるので仲間や組合は禁じられたものであり,これが認められるようになるのは,黙認された元禄期頃からと説明も必要だろう。
とりとめもなく教科書を読みながら書いてみたが,意外に自分にとっては頭の中が整理できたように思う。
もう少し深まってきたら,もう少し説明できるようになるだろうか?