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シリーズ日本近世史1

シリーズ日本近世史?『戦国乱世から太平の世へ』藤井譲治(岩波新書)を読了。読書メモを残す。
まず「天下」という言葉について,

「天下」の語の意味について,・・・信長期の「天下」は,空間的には主として京都あるいは畿内の意であるとした。


「天下」の言葉は秀吉の時代にも同じような意味で捉えられていたようで,そうなると教科書にある信長が美濃を手に入れ,そこから「天下布武」の印判を使うようになったという話も,信長の全国統一を目指した野心として考えるのは飛躍していることになってしまう。
戦国時代の実像として,藤木久志氏の論を紹介しながら書いているが。

戦国の戦が「領土拡張戦争」であっただけでなく,「食うための戦争」であった

戦場で生け捕りにされた人々は連れ帰られて,売り払われる。戦国時代にはそのような人身売買が行われていた。


最近,誰から日本には奴隷の仕組みがなかったというような発言をしている人がいたようだが,そのようなことはない。
秀吉の「惣無事令」は山川出版の新カリの教科書では欄外の注にそういう考えもあるというように扱われ,以前よりもトーンダウンしている。これについても説明がある。
まず,秀吉が「惣無事」という言葉を使うのは,秀吉の関白就任以前からのことで,そうなると秀吉が関白つまり天皇の権威を利用して停戦を求めたという「惣無事令」の説明が成立しなくなる。

「惣無事」は,秀吉が,東国における講和の一形態である「無事」を踏まえ,新たな地域あるいは諸大名や諸領主を自らの勢力下におくためにとった働きかけの一つの形態であり,強力な政権が一方的にそれらの領主に命じた「令」でも,その機能が永続的なものでもない。さらにその法源は,関白任官いいかえれば天皇権威には求めえない。

信長の時代の貨幣政策として悪銭でも強引に流通させようとする撰銭令が出されており,それが経済を混乱させた。秀吉も悪銭を使用するようにさせているが,その頃からは金銀の使用も行われてきており,後藤徳乗に大判を作らせ,常是座に銀の掌握をさせている。

従来の研究史では銭の希少化と撰銭による混乱のなかで金銀の使用が始まったとの脈絡で語られることが多い。・・・それ以上にこの期の金銀使用の増大は,織豊期,殊に秀吉以降の領主財政の爆発的拡大とそれにともなう流通経済の拡張という要素を組み込んで位置づける必要があろう。

関ヶ原の合戦が天下分け目の戦いだというのは説明する必要のないことだと思っているので,教科書の欄外の注に敗者の側から没収した領地のことなどが書いているのを何となく読むだけにしてしまっているが,

家康が論功行賞に充てうる高は七八三万石にのぼる。この高は,当時の日本全体の石高一八五〇万石の約四二パーセントにあたる。

と読み,それだから家康の地位が向上したのだと説明することも必要だと感じた。
そして家康が将軍になったことで,

将軍となるや秀頼のもとに礼に出向かなくなり,諸大名の秀頼への年頭の礼もこれ以降姿を消し,諸大名の礼は家康へのもののみとなる。

関ヶ原の勝利と征夷大将軍就任が家康の地位にどれほど大きな影響を与えたのかという説明をするときに使えそう。
禁教政策の本格化について,岡本大八の事件がきっかけと言われている。

この事件の当事者,有馬晴信,岡本大八がともにキリシタンであったことから,家康は,大八を火刑に処した三月,駿府・江戸・長崎などでのキリスト教の禁止とキリシタン寺院の破却を命じる。

私はこう説明されても,岡本大八事件が本格的禁教政策はじまりのきっかけであることが,理解できない。
有馬晴信が家康の命でポルトガル船を撃沈し,その功として晴信が失った旧領地を恩賞として受け取れるよう斡旋するとした岡本大八が晴信から賄賂を受け取る。いっこうに家康から恩賞の話がないことから晴信が本多正純に問うたことから事件が発覚。それで晴信と大八がキリシタンだから,本格的に禁教策をはじめたというのは,その間に話を加えないと説明がつかないように思うのだが・・
禁教政策の本格化の中で京都や大坂,堺で宗門改が行われ,キリシタンであることがわかると棄教を迫り,従わなければ津軽に追放。宣教師については長崎へ集められ,追放される。これは禁教策の徹底であると同時に

大坂冬の陣を前にしてキリシタンが豊臣方に引き込まれるのを防止する側面もあった。

新カリの教科書から,公家衆法度の用語が追加された。これについては幕府による朝廷統制の一部と説明をしたらそれで良いが,

この法度もまた天皇を介することなく公家衆に出されたものであり,

ということを教えるのも重要な気がする。
一国一城令は大坂の役の直後に出されたもので,これは幕府による大名統制のひとつと位置づけることができる。教科書にある,1615年には

この時対象となったのはすべての地域の城ではなく,西国の城であった。

ということも伝えておくと,幕府がいかに西国の大名を警戒していたかということが伝わる。また,

他方でこの政策は大名の有力家臣が所持する城郭の否定,大名による城郭独占を意味し,家臣に対する大名の権限強化につながった。

という見方にも気付かせることで,一国一城令を多面的に見ることができるようになる。
西国大名のことでいうと,福島正則の改易について,

広島城受取に中国・四国の大名を動員することで秀忠の軍事指揮権が西国大大名にも及ぶことを明確化するものだった。

力のある大名でも法度違反で改易させられるほどの将軍の力を示したという説明で終わっていた福島正則の改易を,城の受取の話まですることで,将軍の力をもっと説明ができるようになる。そして,改易後に譜代大名を西国に配置したことも加えておけば,さらに幕府の力の拡大を説明できる。
私が高校時代に習った慶安の御触書が今は存在を否定されていることは,教科書にも出ている。
幕府の農民統制の中で,田畑永代売買の禁止令についても勘違いをしていたことがあった。

田畑永代売買禁止令という名からこの禁止令が独立した法令であるかのように思われがちである。しかし,事実は,前述した寛永二〇年三月に出された飢饉対策のための二つの郷村仕置定のそれぞれの一か条にすぎない。

しかも,全国を対象とした禁止令だと思っていたが,実際には関東の幕府領を対象としたものだったようだ。
印象が強かった内容について以上書いてみた。次年度以降の授業に組み込めるようにしていきたい。