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文系の大学は必要ない?

朝日新聞の記事「(争論)文系学部で何を教える」を読む。
文部科学省が昨年9月に,国立大学に対して人文・社会科学系や教員養成系の学部の「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を促す内容の通達を出したそうだ。
このことに対して賛成意見を述べている富山さんは,「大学教員に職業訓練をさせる」とか,「サミュエルソンの経済学ではなく簿記会計」など,私にとってはすごく過激なことを言っている。
文科省有識者会議でもこのような発言をされているようなので,そういう場に呼ばれるような有識者なのだろう。
私は大学で歴史を学んだ文系なので,これからも地方の国立大学でも文系の学問が学べる状況が続いてもらいたいと考える。
まず,大学で簿記会計と言うが,これは商学部経営学部で学ぶことができるのでは?それに,もしも企業が文系学部で経済学や歴史学などを学んだ学生よりも,簿記会計の知識や技術を身につけた人材が欲しいと思うなら専門学校の卒業生を採用すればいいのではないか。実際,企業はどちらの人材を選ぶのだろう。もしも実学である簿記会計を学んだ専門学校生よりも,文系学部で学んだ大学生の方が企業から選ばれるのであれば,企業が求める力を身につけられるのは大学なのでは?
ちょっとした言葉の端々を捉えて色々といっても,「それはたとえの話だ」となりそうなので,別の視点からも考えてみる。
10年ほど前,ニートが問題になって以来,大学や高校でキャリア教育が重視されるようになった。当初は,自分の適性を知り自分に合った職業を選ぶために行うことだと言われてきた。
しかし,最近は,以前のエントリで書いたように,キャリア教育も次のステージに入っている。
つまり,高度経済成長以来,企業が求めてきたマニュアルを覚え指示されたことを正確に行うことのできる人材ではなく,変化の激しい状況の中で目の前の問題を自分の力で考え克服していく力を持った人材が必要とされているのだから,問題を解決する力を身につけさせるべきだと。
問題を解決する力を生きる力として,それを身につけさせるために授業で観点別評価を導入し,授業を通して生きる力を身につけさせようとしてきたのではないか。
だから,例えば高校の日本史の授業でも,過去に起こった出来事を多面的・多角的に見て思考させたり,考えたことを表現させるなどの活動をしてきたのではないか。
大学の講義を通して学生が身につける力も同じことでは?講義をする教授が深く追求してきたことを講義を通して学生が追体験し,物事を深く追求するためにはどうしたらいいのかという方法を学んでいるのでは?
もしも大学で教える文系の学問が無駄というなら,高校で学ぶ日本史や,もしかしたら数学や物理なども実学ではないから必要ないとなるのではないだろうか。