ポツダム宣言はどのように生まれたのか

ポツダム会談があってポツダム宣言が出された」と説明されると、ポツダム会談で宣言について話し合われたと理解するのが普通です。しかし高校の教科書をよく読んでみると、その理解が間違っていることがわかりました。

7月には、3国はベルリン郊外のポツダムで会談をして、ヨーロッパの戦後処理問題を協議していた。会談を契機に、アメリカは対日方針をイギリスに提案し、アメリカ・イギリスおよび中国の3交戦国の名で、日本への無条件降伏勧告と日本の戦後処理方針からなるポツダム宣言を発表した。

   山川出版社『詳説日本史B』(平成25年発行)367頁より

   ※3国とはアメリカ・イギリス・ソ連のこと

この記述から、ポツダムでの話し合いはヨーロッパの戦後処理問題についてのものであり、会談をきっかけにアメリカが宣言文案をイギリスに提案して発表したことになります。

 

実際、日本に無条件降伏を求める勧告文についてはアメリカ政府で考えられてきたことで、出されたタイミングがポツダム会談の時で、その中身については協議の公式な話題にはなっていないのです。

 

教科書はしっかりと読まなくてはいけません。

というか読んだ時に不思議に思わないと。>自分