メディア・リテラシー

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世界を信じるためのメソッド

森達也『世界を信じるためのメソッド』(評論社,2006年)を読みました。

メディアが伝える情報には必ず何らかの意図が含まれてしまう。そのことを前提にして情報を受け取らないと,自分たちが見ている世界を歪めてしまうことになるという話。

「報道は中立で公正でなければいけない」という言葉

私はそれは当然と思っていましたが,中立や公正だって受け取る人によって違うのだってことに気づかされました。

僕自身が十年前,オウムのドキュメンタリーを撮ろうとして所属していた番組制作会社から契約を解除されたとき,その理由を当時の上司である番組制作部長は,「オウムをニュートラル(中立)に見ようとしていないからだ」と説明した。(p102)

著者は地下鉄サリン事件後にオウム真理教を取材したとき,世界の平和を本気で願う善良な信者たちを見て,ニュース番組を凶暴な殺人集団が起こした事件として地下鉄サリン事件を描くのでなく,善良な人たちがなぜこのような事件を起こしてしまったのかという視点で伝えようとしたところ,上記のように中立に見ていないと言われ,それがきっかけで制作会社を退社しました。

しかし,中立というのは一見正義なように聞こえますが,どこかのどこかの中間ということであれば,両端がどこにあるのかを決めるのは人それぞれです。ということは,中立が何なのかは人それぞれで普遍的なものではありません。

中立や公正な報道なんてありえないし,人間が伝える情報である以上,その人の考え方が何かしら反映するのです。 伝えられる情報には意図しても意図していなくても必ず歪みがあるのだから,その歪みを修正するのは情報を受けた人たちの使命です。

主体性が重視される世の中

情報を受けるということでも,主体的に受けなければいけません。