木畑洋一『二〇世紀の歴史』
忙しい合間にでも,読書は続けています。
次のツイートをきっかけに小川幸司先生の世界史の授業実践に興味を持ちました。
世界史教師であれば小川先生を知らないのはまずいみたいですが,自分は日本史だからという言い訳をします。「今になってようやく知りました…」
小川幸司先生による「その先の人生につながる歴史の学びを目指して-歴史総合・世界史探究を構想する-」と題された研究会に参加。「高校世界史は「基礎的教養」であるという言説によって正当化されてきた」し,「素朴な分類学」(一種の暗記ゲーム)になってきた。また,教科書のボリューム増加に伴って pic.twitter.com/qo4g7vhGlV
— 調所広郷 (@rekishiedu1868) 2019年11月30日
本来であれば,ここから小川先生の『世界史との対話』
を読めばいいのでしょうが,ちょっとボリュームが…
そしたら,岩波書店のウェブ「新書で歴史を読む」で小川先生の記事に出合いました。
この記事の中で紹介されている新書5冊を読んでみよう!と思い,少しずつ進めています。
最初の1冊に選んだのが,木畑洋一『二〇世紀の歴史』(岩波新書)です。
この本では,1870年代から1990年代までの「長い二〇世紀」の歴史を叙述しています。では,この「長い二〇世紀」とはどんな時代なのかというと,以下のように説明されています。
人と人とが差別されて,支配と被支配の関係が世界を覆い,その構造の下で二つの世界大戦を頂点として暴力が偏在していた時代
(p272)
「帝国主義」という言葉でイメージすることのできる時代と言えばいいのでしょうか。
では,なぜ1870年代を始点とするのか。それは,アフリカ分割という帝国主義的な意味での植民地支配が始まったからです。
では,終わりが1990年代なのは次のような理由からです。
まず,「人と人とが差別され」る状況が,1991年,南アフリカでアパルトヘイト政策が撤廃されることで終わったと考えます。
次に,帝国的な支配は,二つの世界大戦を経て解体に向かっていきましたが,その過程でアメリカが「非公式帝国」化し,これまでとは別の形の帝国的な支配が続きます。
しかしそれも,1989年,アメリカがパナマ侵攻をした際,もともとアメリカ主導で発足した米州機構がアメリカ軍の撤退を求める決議をしたのは,米州機構のアメリカからの自立を表す出来事であり,これによってアメリカによる帝国世界が終わったと見ることができるので,これをもって「支配と被支配の関係」が終わったとしています。
タイムリーという言い方をして良いのかわかりませんが,アメリカのイランに対する態度を見ると,本当に帝国的な支配は終わったのかと疑問に思うこともあります。
そして,大きな意味で帝国的な支配は終わったとしていますが,焦点を絞ってみるとまだまだ帝国支配が終わっていないことを木畑氏も認めています。
それは,本土復帰後も米軍基地が多数残り,県民一人当たりの所得が2008年まで全国最下位が続いた沖縄です。
この本では世界全体の大きな流れとあわせて,沖縄など「周縁」の地域の歴史の定点観測もなされています。本の最期に沖縄に関する指摘があるのは考えさせられました。
その沖縄の定点観測があるということが,小川氏お勧めの5冊の中から最初の1冊に選んだ理由です。