スポーツとルールと近代

大学院でスポーツ史を研究している方との話の中で,

「スポーツのルールは近代に成立しました。それは民衆を秩序付けるという,いかにも近代的なことです。」

 という話を聞いて,なるほど世界史の教科書の近代の部分には必ず「この頃スポーツのルールが成立…」という記述があるのはそういう意味で言っていたのかと理解することができた。

しかし,民衆を秩序付けるためにルールをつくってという話は確かに分かるが,疑問に思うこともある。ヨーロッパ世界で人々を秩序付けていたのって,キリスト教なのではないかと。

それに対して,

「多くのスポーツは争いごとの解決の手段として行われる決闘で,その勝者は神によってその争いに勝つ,つまり正当であることを認められたという考え方を持っている。だから,争いごとで暴力が用いられることとキリスト教の考えというのは矛盾しないのだ。」

と,私たちの話を聞いていた同僚が入ってきた。

 

そして今,このことを書くべくスポーツと近代のことについて検索をしていると,さらにいろいろとわかってくる。こういう話ができた日は,本当に充実している。

 

その話しのなかで,正統と異端という話も出てくる。

それって,昨日読んだ岩波新書のはじめにの部分に書いていたような

異端の時代――正統のかたちを求めて (岩波新書)
 

現在は正統という言葉が通用しなくなってきている。

なぜトランプが大統領選挙で勝利をおさめたのか。

その問いに対する答えになるようなことが見つかりそうな本。

読もうと思って買った本がたまってきたが,これも読んでみよう。